複合素材作家 松田光二 

試行錯誤の末に出会った子供たちと
高品質のクラフト作品作りに励む

松田光二さん 陶芸や木工、金属など素材にこだわらずいろいろ取り入れて新たな作品を創り出す複合素材作家・松田光二さん。テキスタイルデザインから入って、建築のインテリアコーディネートなど様々なジャンルの仕事に取組んできた。現在は複合素材作家として活躍する傍ら府中市で知的障害者就労施設・フラッグスを仲間と設立・運営している。ここに至るまでの軌跡を松田光二さんに伺った。

 

 

 

辻邦生「廻廊にて」の影響受け
テキスタイルデザインを

 やはり子供の頃から絵が好きで・・・。
答 唯一得意だったのが絵で、高校に入った頃、将来を考えると美術関係しかないなと思うようになりました。
 それで・・・。
 高校(松商学園高校)1年の3学期から松本市内の絵画研究所に通い、夏休みと冬休みは東京・目白のすいどーばた美術学院の講習会に参加しました。二浪後に多摩美大に入りました。
 大学での専攻は何でしたか。
 染織、テキスタイルデザイン科です。
 就職は・・・。
 大学卒業は79年です。前年にイラン革命が起きて第2次オイルショックの影響で、企業も採用を手控えて大変な就職難でした。どうにか大学の先輩も多かったブルーミング中西(当時中西儀兵衛商店)に就職して、主にプリントデザインをしていました。
 就職は運もありますね。その時々の景気の変動に左右されますからね。
 70年代末から80年代初めは日本人が少しお金持ちになっていった頃で、それほど景気が悪いという感覚はありませんでした。ファッションデザインでは81年にコムデギャルソンの川久保玲やワイズの山本耀司がパリコレでデビューし、イタリアのジョルジュ・アルマーニ、ミッソーニが日本に上陸しています。同じ頃、一方でカフェバーブームがありました。83年には通産省(現国土交通省)の旗ふりでインテリアコーディネーターという資格制度も誕生しています。

 

建築デザインやりたくて建設関係商社に転職
勉強続けて40歳で空間堂設立し独立

 振り返ると、ジャンルを問わず、デザインを取り巻く環境も慌ただしく変わっていった時代ですね。松田さんもその頃転機を迎えていたそうですね。
 私は元々立体物のデザインが好きで、建築や店舗、商業施設の設計・デザインがしたかったんです。それで7年間いた中西を辞めて86年に建築関係の商社に入りました。
 話しを戻しますが、建築関係に興味があったのにテキスタイルデザインを目指したのは。
 浪人中に辻邦生の「廻廊にて」を読んだのがきっかけです。本の終章にニューヨークのクロイスターズ美術館の一角獣のタペストリー(織物の一種)の話が出てきます。世界で最も美しいと言われるタペストリーです。それで織に興味を持って、染織を専攻したんです。織はいまでも好きですよ。
 そうですか。で商社では建築関連のデザインを・・・。
 そうはいきませんでした。結論から言うと乗り遅れたんですね。
 というと。
 もうコーディネート部門の空きはなくて、仕事は建築資材の営業でした。勿論仕事を続けながら建築関係の仲間と勉強は続けていて、40歳の時に空間デザイン会社の空間堂を設立しました。
 何故40歳で・・・。
 これ以上営業の仕事を続けているとクリエイティブな仕事はできなくなると思ったのが動機です。しかし30代の10年間、デザインの仕事から離れていたブランクは大きかったですね。クオリティの高い仕事はなかなかできませんでした。
 空間堂の主な仕事は。
 空間デザイン、建築デザインです。当時盛んに言われるようになっていたシックハウス対策の建築設計もその一つで、西新宿のリビングデザインセンターOZONEでワークショップをしたり、他に仲間と二人で建築関連の自然素材を売るシックハウス対応のエコショップ店を作ったりしました。

コーヒー豆用スプーン

コーヒー豆用スプーン ブナ材 一番明るい色は生地仕上げ、中ぐらいの色調が草木染め、黒い色は草木染めを媒染したもの

 

 上手くいきましたか。
 エコショップは上手くいかなくて、私は手を引きました。
 その頃ですか、一角獣のタペストリーをニューヨークで観たのは。
 はい。ニューヨークスタイルのドラッグストアの店舗デザインを頼まれて、リサーチのためにニューヨークを訪れた時に機会があって観ました。やはり感動しましたね。

 

ボランティアで木工を教え始める
ヨーガン・レールの家具の管理

 同じ頃、現在に繋がる出会いや出来事があったとか。
 45歳の時、知り合いからの紹介で、ボランティアで福祉団体に木工を教えに行くようになったんです。天然素材を生かしたファッションや家具、デザイン雑貨を手がけるヨーガン・レールの家具の管理やメンテナンスを始めるようになったのもこの頃です。
 ヨーガン・レールとの仕事のきっかけは・・・。
 20年以上前になりますが、大学時代の友人の奥さんに声をかけられて「陶芸家以外の陶芸展」(愛知県デザイン博跡地で開催)に作品を出しました。ヨーガン・レールさんも参加していて、「陶芸展」をきっかけにファッションだけでなく家具、生活雑貨まで事業を広げるようになります。ヨーガン・レールさんは家具も自然の塗料を使いたいと彼女を通じて相談がありました。僕らは天然素材に関しては経験もあったので家具の管理やメンテナンスをやるようになったわけです。
 それはここ(府中市押立町)で。
 いえ、最初は自分の家や福祉法人で障害の子供たちにメンテナンスの方法を教えていたんです。福祉に関わるようになって分かったのは、常にお金が不足していることです。それで収入の道を見つけるために天然酵母を使った製パンやパンの宅配を提案したのですがなかなか思うようにはいきませんでした。

 

4人の共同経営でフラッグスデザイン開設
クオリティの高い木工作品作り目指す

 それで・・・。
 じゃあ自分達で作ろうと、12年前に現在の場所に4人の共同経営で始めました。知的障害を持った子供たちに働いてもらうようになり、1年後に府中市中河原にパン屋フラッグスベーカリーを出した時に、正式名称をフラッグスデザインとしました。その後、府中市四ツ谷にフラッグスファームを作りました。パン屋の仕事は人と接する事が結構多いので、子供たちにとっては負担も大きく心身とも消耗します。フラックスファームはそうした時に土いじりをして心を癒してもらうことを目的としています。

箸置きのセット

箸置きのセット 桧、パドゥーク、胡桃、ウォールナット、ブナの5色の木を使っている

 

 最初はボランティアで始めて、それが仕事の中心になったのは・・・。
 エコショップを失敗した時に、経済的にも将来的な展望も見えず私自身大きなダメージを受けました。その時、福祉関係のお手伝いをして心が随分救われました。人の心を穏やかにしてくれたり、思いやりの心を教えてくれるのが彼らの存在なのです。それが本格的にやるようになった動機です。
 ハンドメイドのクラフト作品を多く手がけていますね。
 最初に来た子が家具のメンテナンスをやりながら木製品を作るのに興味を持って・・・。せっかくやるのならハンドメイドで一から作ろうと始めました。福祉団体で作るものは1度買ったらもういいよ、というものが多いけれど、それではダメだと。基本コンセプトを、どこに出しても恥ずかしくない、買ったらファンになってもらえるものを作ると決めています。この考え方は10年以上変わっていません。
 色んな作品がありますね。
 カトラリー(スプーン等)を中心に皿を各種、箸置きセット、赤ちゃんが生まれた時に名入れをしてプレゼントする赤ちゃんスプーンも人気があります。彼等に無理をして職人になってもらうつもりはありません。質の高いものを作ろうと言い続けているのは、仕事に誇りを持ってもらいたいからです。
 最初から最後まで自分達で作っているのですか。
 基本的には分業です。パートパートをそれぞれ得意な子に担当してもらい、それをつなげる関節の役目とフィニッシュワークは我々がやります。色々経験して、今はこの方法が一番いいと考えています。
 簡単な事ではありませんよね。
 よちよちではありますが、イベントや展示会などで売り始めるまでに3、4年かかりましたね。

モビール各種

木や真鍮などの金属を使ったモビール各種

 

複合素材作品で日本クラフト協会入賞
多くの人に恵まれ、苦しい経営支える

 松田さん自身の創作活動は?ジャンルの複合素材ってどんなものですか。
 複合素材から説明すると、陶芸とか木製品とかにこだわらないという意味です。この部屋の天井からぶら下げているモビール(動く彫刻の一種)は木も使えば金属も使うわけです。金属の作家とコラボレーションして作ったりもしています。僕自身はブラックスデザインを始めて、考え方を変えました。耳目を集める作品を作って、世の中にブラックスデザインの名前を知ってもらう“人寄せパンダ”になろう。もう一つは私自身のもの作りの強い欲求です。それで作り始めたのが、真鍮の織網に漆喰に近い左官素材を使ったスクリーンです。それが2004年です。
 その作品が日本クラフト協会(JCDA)の入賞(読売新聞社賞)につながっていくわけですね。
 ええ、スクリーン作品の発表がターニングポイントでした。日本クラフト展の入賞はそれから5年後になります。

スクリーン

真鍮の織網に漆喰に近い材料を使って描いたスクリーン

 変化はありましたか。
 作品を発表して、国立市のコート・ギャラリー国立等で個展を開いたりしていたのですが、入賞後JCDA関係の方や多摩クラフト協会の当時会長の三浦(勇)さんなどの方々に声をかけていただき、いろいろなつながりが生まれました。仕事の間口も広がってきました。
 そうですか。
 僕はお金には恵まれなかったけど、人には恵まれたと思っています。数えきれない方々に助けてもらってここまで来ました。
 はい。
 ここの作品は主に木工作品です。僕は専門的な勉強をしていないので、生え抜きの方からすれば「分かっちゃねえや」という部類だと思っています。なんとかやってこられたのは、漆芸家の上條さんに漆塗りを教わったり、胡弓作家の西野和宏さんや木工作家の永井武志さんなどから木工のイロハから教えてもらったからです。作品の販売では都内を中心に色々な方が場を提供して下さっています。
 来年60歳ですね。これからの事を伺いたいのですが。
答 ここは自分達で立ち上げていますから、退いて個人の作品作りというのはなかなか難しい選択です。まずは、ここで作るもののクオリティをもっと高くしたい、次に自分の作品もこのままではダメなので力を少し入れていきたい。そして、70歳まで生きていたら自分の作品製作に集中していきたいと考えています。
 先程お金には・・という話でしたが、経営は難しい?
 公的な支援がない事もあって経営は非常に苦しいですね。公的支援があれば楽かというとなかなか。やはり経営をきちんとしたものにしていかなくてはいけないという思いが強いですね。

データ

1955年 長野県松本市に生まれる
1975年 多摩美術大学テキスタイルデザイン科入学
1979年 同大学卒業
  同  年 ブルーミング中西株式会社入社
1986年 建設関係の商社入社
1987年 「陶芸家以外の陶芸展」参加
1995年 空間堂設立
2000年 福祉団体でボランティアを始める
2002年 特定非営利活動法人所フラッグスデザイン設立
2004年 左官素材と金属使ったクラフト作品発表
2005年 コート・ギャラリー国立等で個展
2009年 日本クラフト展で読売新聞社賞受賞
2010年 OZONEはじめ各地ギャラリーでグループ展、個展

 

フラッグスデザイン
〒183-0012 東京都府中市押立町4−10−5
TEL・FAX:042-481-9091
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