先日書いた小津和紙は説明不足な点が多かったので少し追加します。小伝馬町駅4番出口を出て江戸通りの裏手になるゑびす通りを小津和紙に向かって歩くと右手に大伝馬町の草分名主馬込勘解由屋敷跡があります。邸内奥には徳川家康から拝領したと伝えられる恵比寿神像がありました。江戸時代、正月20日と10月20日に盛大な恵比寿講が行われていました。恵比寿講の前日に立った市が現在のべったら市につながっています。恵比寿神像は現在、少し小津和紙側に寄った寳田神社に祀られています。寳田神社を過ぎると左手に於竹大日如来井戸跡の碑が見えてきます。目の前の昭和通りに面した一角が小津和紙本館ビルです。左折するとすぐ右手道路脇に小さなべったら市の由来を記した馬込勘解由の碑があります。
また、小伝馬町駅4番出口を出て江戸通りを渡りそのまま人形町通りを数メートル行くと左手に高野山の準別格本山の大安楽寺があります。江戸伝馬町牢屋敷跡の碑があるように、創建は明治15年で当時の大倉財閥の大倉喜八郎、安田財閥の安田善次郎の寄進によるものだそうです。向かいの同屋敷跡の十思公園には吉田松陰終焉乃地の碑や石町時の鐘宝永時鐘などがあります。