楽しいから凝って工夫し、徐々に改良
お客さんが使い方を変えてグレードアップ
孫への贈り物をと定年直前から始めた木工の玩具作り。大手製薬メーカーの研究者だった現役時代の真摯に物事に取り組む姿勢は今でも変わらず、お客さんの話に耳を傾け丁寧に仕上げた作品で多くのファンを持つ関口正保さんに話を伺いました。
最初の作品は、孫へのプレゼント用のクルマと牛の玩具
答 私は子供の頃から工作が好きで、竹トンボ、水鉄砲、竹馬、飛行機や船などの玩具は竹や木を用いて自分で作って遊んでいました。50歳頃に組み木デザイナーの小黒三郎さんのお雛様に惹かれて買い求めたのがきっかけで、いつか自分でも木の玩具を作ってみようと思いました。58歳のとき、孫が誕生し、「手づくり木工事典」(婦人生活社刊)などを買って勉強をして、最初はクルマと牛のおもちゃを孫に作りました。今から見ると随分未熟な作品ですよね。
問 色々勉強をなさったとか。
答 定年後に木工をやろうと決めてからは、木工の本や雑誌を見て作り方の勉強をしていました。
その頃、会社帰りに京王百貨店の伝統工芸展に寄ったら木工作家の屋中秋谷さんが出品していて、木工造りについて色々質問して教えてもらいました。年齢も同じと分かって、三ヶ月後にはカミさんと一緒に札幌市のアトリエに押し掛けました。
屋中さん以外にも北海道の木工作家さんを3、4人リストアップして、「伺ってよろしいでしょうか」っていきなり電話をして。みなさん快く受け入れてくれて、札幌から小樽まで工房やお店を廻りました。木工デザイナーの煙山泰子さんのKEM工房にも行きました。随分厚かましい話ですが、いろんな人から話を聞くことができて勉強になりました。それ以降も色々教えてもらったりして多くの方に助けてもらいました。本当に感謝しています。
58歳から勉強、曲線と木の温もりにこだわる
答 58歳の頃からから定年後に何をやろうか随分考えました。
まず奥さん達がやる陶芸や木彫りはダメだと思いました。奥さん達がそれまでに掛けてきた時間とお金と情熱、ネットワークも含めて太刀打ちできないですよ。定年後は時間の余裕もありましたので本格的に木工玩具作りに取り組むようになりました。美術大の女子学生さんから、学生さんの絵本作家さんやぬいぐるみ作家さんと子供を対象にした作品展を企画しているが、おもちゃを作る人はいないので「関口さん、仲間に入ってくれませんか」と言われて作品展をやったこともあります。その時に木工玩具を作る人は意外と少ないことを知りました。
ただそんなに儲かる領域ではないから皆さん手を出さないのだと後で分かりました(笑い)。生活の糧としてはなかなか難しいでしょうね。
問 動物のおもちゃを作ろうと思ったのは。
答 獣医なので動物を見慣れていて、イメージが頭の中にあったからかもしれませんね。
僕の師匠(屋中秋谷氏)が曲線をすごく大事にする作家で、曲線は簡単そうに見えて難しいけれども決まったときにはすごくいいよ、とよく話をしてくれていました。動物玩具をデザインする時は、特に曲線部分はこだわり、木のおもちゃとして温かみがあるようにしています。
答 ブナです。ブナ(橅)は木篇に無いと書くくらいで、昔は腐りやすく、狂いやすいため家具には適さないとされてきました。でもおもちゃには一番適しています。価格が手頃で加工しやすく、均質性も木の表情もいい。余り柔らかいと傷ついたりしますが、堅さもいい。それに木が滑らか。ささくれ立ってこないから、おもちゃとして赤ちゃんのように肌が柔らかい子どもに与えても大丈夫なんです。
問 ブナのほかに使うのは。
答 チークを使います。ブナは白っぽいので、クルマの車輪や動物の目や鼻にアクセントとして茶色のチークを使うと表情が随分違います。
チークは最近入手しにくいのですが、長さが90センチくらいの丸棒状のもので直径が4ミリ、5ミリ、8ミリなど色々な種類があります。入手するお店によって微妙に太さが違うんですよ。赤ちゃんのおもちゃは部品が外れると困ります。チークの直径に合わせてドリルの刃を揃えてぴたっと合うようにして木を入れていくんです。コンマ単位で違うのを合わせるのは大変ですが、これが結構楽しいんですよ(笑い)。ついつい凝っちゃうんですね。
干支シリーズや名前を入れた玩具が好評
問 輪投げも凝ったそうですね。
答 一般的な輪投げを見ると、縄のつなぎ目は木の玉に穴をあけて接着していますよね。投げると玉が堅いので、結構危ない。僕のキリンの輪投げは接合部分に羊の皮を使っています。外科用の道具を使って自分で縫っているんですよ。そうするといくら投げても音はしないし、当たっても傷もつかないんです。
輪投げの縄も思うような縄が無くて、やっと日本橋の麻ロープ専門店に辿り着いて。お店の人と倉庫に行って随分探しました。探し当てたのが白くて細いけど堅い編み方をした縄です。お客さんの特注品のロープだったのを分けてもらいました。会社の帰りに日本橋から200メートル巻を電車で担いで帰ってきました(笑い)。そこまで凝らなくっても、とカミさんに言われるけど、凝っちゃうんですよね(笑い)。
問 おもちゃは干支のシリーズが人気だと聞きました。きっかけは。
答 最初は色々なおもちゃの作家さんを調べて、シリーズものや季節ものがあるといいとか勉強しました。僕の好きな小黒さんの雛祭りのシリーズがコンスタントに売れると聞いていたので、サラリーマン時代は毎年年賀状に木版で干支を彫って出していたこともあって、じゃあ干支シリーズを作ろうと。
干支は毎年その年に生まれた赤ちゃんのプレゼントになりますね。最近は家族の干支を全部揃えたいとか、リピーターさんの中には周りで子どもが生まれたら干支に名前を入れて贈るという方もいますね。干支をやっていてよかったなと思いますね。
答 はい。でも最初は苦労しました。名前が彫れるレーザーは機材が高くてとても買えないので焼きごてを用いてドットで入れるんですよ。始めはアルファベットだけだったのが、平仮名で入れて下さい、(名前の)漢字を凝ったので漢字で入りませんかと言われて。その都度どうしたらいいか考え、徐々に徐々に。やっと漢字でも入れられるようになったんです。
安全性に注意、クレームや要望はチャンス
問 おもちゃを作っていて神経を使うのは。
答 安全性ですね。遊んでけがをしないようにするため面取りが大事です。作っている時間の6割くらいは面取りなどの磨いている時間です。塗料も子どもが口に入れても、なめても大丈夫なものを使わなくてはいけません。
問 子どもはおもちゃを結構大胆に扱うから大変ですね。
答 こちらが大丈夫だと思っていても想像の範囲を超える遊びをします。以前、男の子が象さんのおもちゃで遊んでいたら車の部分が壊れたと言うので、着払いで送ってもらったことがあります。どうして壊れたかを究明し、無料で改良修理して送りました。
クレームではありませんが、「猫はなんでないんだ。作ってください」とか、「家では犬のダルメシアンを飼っているので作ってください」とかいろいろ。それはそれで面白いですよ。
問 まだありそうですね。
答 要望やクレームは本当に勉強になりますし、チャンスです。最近は車付きの干支のおもちゃも、お正月に干支を玄関に飾りたいから、車をつけない置物タイプにしてくれというお客さんが増えています。
木のツリーも(と言って手に取って)、一本一本抜いてバチでたたき音を楽しんだり、アトランダムに木の位置を替えるだけで人形にも、逆三角形にも、色々な面白い形ができます。
よく見ると木の先端に溝が入っているでしょ。最初はなかったんです。お客さんが先の方に溝を切ってくれと言われて作ったら、溝にピアスを引っ掛けて置くっていう人がいて驚きました。買ってくれた方がどんどん使い方を変えて、広げてグレードアップしていってくれて、有り難いですよ。
孫へのプレゼントが、気がつけば孫からのプレゼント
問 デザインも最初の頃から随分変わっていますね。
答 動物の形のものは尾っぽが欠けてしまうので、尾っぽをどう処理するかが問題でした。少しずつ身体の中に入れるようにデザインを変えてきました。どのおもちゃも少しずつデザインや作り方のスピード、精度を変えたりしています。要領よくよりきれいに、と考えると新しい道具が必要になってきます。それでヤスリも自分で作りました。
鈴音も(と言って新旧二つの鈴音を渡してくれ)持つ部分が最初の頃のものと今では感触が随分と違いますでしょ。握りやすくなっていますよね。やっぱり、最初の頃は妥協しているんですよね。
問 関口さんの作品を最初に見たのは多摩クラフト協会の作品展でした。
答 多摩クラフト協会にはいって、周りの作家さんからいろいろ教えていただいたり、刺激を受けたり大変勉強になります。協会の設立当時に会長の三浦勇さんからお誘いを受けお仲間に加えさせていただいたのですが大変感謝しております。会員の漆とか布、陶器の専門の方とのコラボレーションも楽しみの一つです。
最近はLED照明デザイナーの惠原佑光さん(100ワットスタジオ)に照明のノウハウを教えてもらったり、僕も惠原さんの照明器具の木の部分をお手伝いして新しい世界が広がってきました。
問 お話を聞いていると本当に楽しそうですね。
答 定年になって、家にいるだけだったらカミさんの邪魔になるのですが、木工の玩具作りがあり、本当によかったですよ(笑い)。今は自分の人生の中で一番ストレスが無い時期かもしれないですね。孫が生まれて孫におもちゃをプレゼントしたと思っているじゃないですか。最初はそう思ったけれども、これは孫から私へののプレゼントですよ。孫のお陰で、「木工玩具作り」という今本当にいいものを与えてもらったと思っています。
データ
1946年 | 横浜市生まれ |
1969年 | 日本大学(農獣医学部)獣医学科卒業 |
1973年 | 第一製薬入社 |
2004年 | 木工玩具制作活動を開始 |
2005年 |
札幌在住の木工作家屋中秋谷氏に師事 |
2011年 | 「関口正保・白井英夫 二人展」(東京都中央区銀座 のばな Art Work in GINZA) |
同年 | 京王百貨店(聖蹟桜ヶ丘)ギャラリーにて個展開催 |
2012年 | 「たまオモチャ市」出展(東京都多摩市 クロスガーデン多摩) |
同年 | 多摩クラフト協会作品展(多摩に創る第4回展)(東京都多摩市 パルテノン多摩) |