モノを創る 本をつくる 永井武志(木工デザイナー)

 

工業デザイナーから木工デザイナーへ

目の前の素材がデザインを教えてくれる

 

 

永井武志さんは平成17年、65歳で現役を退くまで電話機、空圧機器などの工業デザインの第一線で活躍する傍ら身障者のリハビリテーション用具や共用品の開発などに携わってきました。現在は八王子市小津の工房で木の皿や器を制作する永井さんに伺いました。

 

ピンク電話をデザイン

 

 永井さんは大学を卒業して工業デザイナーとして第一歩を踏み出すますね。

 卒業は東京五輪の翌々年で大変な就職難の時代で、卒業後一年間副手として大学に残っていました。主任教授は佐々木達三先生でした。スバル360のデザインで知られる日本の工業デザインの草分け的存在の先生です。ご自身でデザイン事務所も持っていらっしゃって「お前、うちに来てもいいぞ」と言われて、大喜びで入社しました。多い時で6、7人デザイナーがいましたかね。そこに33歳までの7年間お世話になりました。

 在籍中に、公衆電話器のピンク電話をデザインしたそうですね。

 農業機械から工芸品までいろんな分野の製品のデザインをしました。印象に残っているのは田村電機(現サクサ株式会社)のピンク電話や小型青電話、70年の大阪万博で展示したスイスの時計メーカー、チュルラー社の日時計のデザインなどに参加したことです。日時計は移設され現在も代々木公園にあります。最近見に行ったら随分ぼろぼろになっていましたね。

 一番学んだことは。

 佐々木先生は立体の造形物は立体で検討しないと分からないよという思想・考え方の持ち主で、絶対にモデルでしかプレゼンテーションをしませんでした。

 当時は上手に絵を描けるのがデザイナーだったんですよ。でも絵はいくらでも嘘を描けるんですね。佐々木先生はモデルを作ってからモデルを計測して図面を引く、普通の人とは逆のプロセスをなさった方です。その教えは僕の仕事、デザインのベースになりましたし、後々まで随分役立ちました。

 

33歳で独立、産業機器をデザイン

 

 33歳で独立ですね。

 友人と二人で新しいデザイン事務所「イデオ」を興しました。SMC株式会社(http://www.smcworld.com/)というニューマティックス機器(圧縮空気で動かす機器)の日本のトップメーカーの専属で、機器のデザインを一手に引き受けていました。他に歯科医師が歯を削る器具タービン、技工士が使う様々な道具や、超精密なシルクスクリーン印刷機のデザインなどを手がけていました。

 リハビリテーションの道具の開発も手がけていたそうですね。

 はい。基本に商業ベースにのる製品のお手伝いだけがデザイナーの仕事ではない、「デザイナーは人間にとって本当に必要なものを作っていかなくてはいけない」という佐々木達三先生の考え方があります。

 その頃浸透して来ていたリハビリテーションの思想がこれからは重要だと。それに賛同したフリーのデザイン会社4社が昭和48年にRID(Rehabilitation Instruments Design)グループを作りこの活動に参加させて頂きました。

 当時リハビリの現場で使われていた道具は今から見れば拷問機のようで、人様が使うようなものではありませんでした。デザイナーの職能を生かすことによって少しでもリハビリの訓練器具が良くなればとデザインしましたが、仕事として生活を支えるようなところまではいきませんでした。

 その時代は1970年代の日本の高度成長の末期に重なります。色々なものが大きく変わっていった時代ですね。

 70年代はコミュニティーの技術といわれる街場の大工さん、桶屋さん、鍛冶屋さんなどが工業生産に押されてどんどん無くなっていった時代でもあります。それまでは例えば「じいちゃんがちょっと腰が痛くなったんで立ち上がりやすい椅子を作ってくれよ」と言えば作ってくれる家具職人が周りにいたんですね。それが工業生産にシフトしてしまって、職人がコミュニティーの中だけでは生計を立てられなくなって姿を消した、そういう時代です。

 そうですね。

 障害者も使える機器・道具はニーズとしては数が少量です。工場に依頼すると何万個作るんですかと聞かれる。それで個別に障害者に合わせたものを作ろうとすると対応するコミュニティーの技術がなくなっている。そこで我々は工業生産品の中にほんの少し配慮をすれば、障害者も健常者も共に使い易くなるものがたくさんあると気がつきました。

 

日本発のユニバーサルデザイン

 

 なるほど。

 同時期にそのことに気づいて、目や耳の不自由な人と健常な子どもが一緒に遊べる玩具を提案していたのが玩具メーカー、トミー(現タカラトミーhttp://www.takaratomy.co.jp/)の星川安之氏です。星川さんたちと1991年、E&Cグループを組織し、工業製品にちょっと配慮をすることで健常者も障害者も共に使いやすいものを作ろうと活動始めたんです。そのような道具やサービスを「共用品・共用サービス」と呼ぼうと決めました。これは日本発のユニバーサルデザインです。

 バリアフリーは、出来上がってしまったバリアを障害者のために取り除こういう考えですが、私たちは積極的に健常者も障害者も共に使いやすいものを作っていこうという立場です。E&Cグループは1999年に財団法人「共用品推進機構http://kyoyohin.org/」になり、昨年(2012年)4月に公益財団法人になりました。

 永井さんは公益財団法人「共用品推進機構」の理事をなさっていますが、共用品の具体例を教えていただけますか。

 僕が関わった例ではプリペードカードの識別があります。テレホンカード、JR、各私鉄、地下鉄などの交通カード、買い物カードなどのプリペードカードは形、厚み、大きさが全て一緒です。
 切り欠きがついて識別ができるテレホンカード以外、目の不自由な方には何のカードか分からない、カードの表裏、挿入方向が分からないなど不便さがありました。それを目の見えない人でも識別できるようにしようとE&Cの中にカード班を作って、平成6年(1994年)頃に解決案を模型にして日本規格協会(JSA http://www.jsa.or.jp/)に持ち込んだんです。

 反応はどうでしたか。
 最初は「全てのカードを識別することなどできっこありませんよ。やるとしたら音声でやるしかない」と言っていたのが模型案を見て「ああ、こうすればできますね」となったんです。

 タイミングよく翌年がプリペードカードJIS規格の5年に一度の見直し時期にあたっていました。プリペードカード規格見直しのメンバーに誘われて、プリペードカードの端に切り欠きを入れて、テレホンカード、乗り物カード、買い物カードの大きく3種類に分類し、触って区別がつくようにしたんです。それがJIS規格になったのが1996年です。

 そういった経緯があったんですか。初めて知りました。

 問題はまだ残っています。乗り物はJR、地下鉄、私鉄、バスと一人で何枚も持つ人にとっては切り欠きだけでは区別がつきません。その時はカードに点字を打って区別しようという案を出したんですが、既に出来上がった規格への提案はなかなか通りませんでした。

 その経験から共用品や規格を作るには、道具やシステムの規格を決める最初から障害者や高齢者が一緒に使うことを頭の中に入れて作るべきだということを勉強させられました。

 どんな組織でも決まったものを動かすのは大変ですね。

 ところが星川さんはすごいんです。規格を作るときは障害者のことも考慮して、全世界の規格を作るべきだとISO(国際標準化機構)に提案したんです。大変な努力をした結果、2001年にISO/IECガイド71(ISOおよびIECによる高齢者や障害者に配慮した各種製品・サービスの規格作成に関する国際指針)という形でISO規格になりました。

 ISO/IECガイド71というのは?

 普通のISO規格よりも上位規格です。加盟各国が規格を作るためのガイドになる規格です。

 公益財団法人共用品推進機構はそれを基に「共用品・共用サービス」(Accessible Design)を全世界に広めようという活動をしています。プリペードカードは日本では多く使われていますが、海外はICカード、クレジットカードが多かったんですね。これらのキャッシュカード、クレジットカードの識別方法もE&Cの延長である「共用品ネット」M&C(マネー&プロジェクト)の長年の活動を通してISO規格になりました。

 どういうことですか。

 プリペードカードと同じくキャッシュカード、クレジットカードもサイズ、厚み、大きさは同じですね。キャッシュカードやクレジットカードは決済のときなどに他人に渡しますね。返って来たときに目の不自由な人には本当に自分のカードかどうか確認できません。悪い人間に会ったらとんでもないことになります。そこでカードの下部に設けられたカード発行者が自由に使えるネームアンドアドレスエリアに、点字3文字分のスペースを設けて、カード発行時に点字で発行銀行名、自分のイニシャルなどの使用者が希望する情報を入れるんです。点字が読めない人は自分のカードと認識できる独自のマークを18の凸点を使って表示することもできます。これをアイデンティファイアーマークと言います。このマークを表示するスペースをISOの規格にしてもらいました。

 

65歳で会社譲り木工デザイナーに

 

 その間に、昭和55年新会社「プラナ」を設立していますね。

 基本的「イデオ」時代と仕事は変わりませんが、新会社では主にSMC株式会社の製品デザインとCI(Corporate Identity/企業イメージの統合化)の仕事をしていました。SMCの企業イメージを、製品を通していかに正確にユーザーに伝達、見せるかに時間を割いていました。その頃の工業デザインは家電、車、ファッションなど消費財が主で、SMCのようなニューマティックスのような産業機器メーカーがデザインを取り入れたのは初めてでした。SMCは業界のトップ企業でしたから、業界での影響はそれなりに大きかったと思います。

 65歳で会社を譲ったのは。

 工業デザインはユーザーのニーズ、コストと時間に常に厳しく制約されます。機能最優先で全く無駄が許されません。特にニューマティックスは産業機械ですから家電製品のように造形的美しさでものが売れる商品ではありません。産業機器のデザインはそれなりに面白さもありますが自分自身の造形的な意欲を十分に満すことがはできませんでした。

 

 それで木工を始めたわけですか。

 木工は東京都立工芸高等学校木材科(http://www.kogei-tky.ed.jp/)を卒業したこともあって、趣味でずーとやっていたんです。

 話が少し長くなりますが、僕は佐々木先生をはじめ多くの師に恵まれてきました。学生時代からクラフトのそうそうたる人に教えを受けたんですね。お一人は昨年(2012年)、浦和伊勢丹の「※素材とかたち展〜馬場忠寛と仲間たち」で仲間に加えていただいた鋳金クラフトの第一人者、馬場忠寛氏です。大学時代に偶然お隣りに馬場さんが引っ越して来られて、毎日午後8時から12時頃まで鋳造原型作りのお手伝いをさせて頂き、クラフトの手ほどきを受けました。

 もうお一人が佐々木達三先生の後輩にあたる秋岡芳夫氏(http://ja.wikipedia.org/wiki/秋岡芳夫 )です。金子至氏、河潤之介氏と共にフリーの工業デザイン事務所の草分け「デザイングループKAK」を設立した方です。工業デザインの考え方について大変多くの教えを受けたました。また、グループ「モノ・モノ」を組織され、木工やクラフトにも大変造詣が深く、多くの木工の著書もあります。その中の「木工道具の仕立」(美術出版社刊)のお手伝いをさせて頂いたこともあります。 そうした事もあり、趣味で木工道具を揃えていたりしていたんです。

 それでここ(八王子市小津町)に工房を作った

 息子(永井理明氏)も大学(東京芸大美術学部工芸科鍛金専攻)を卒業したのでじゃあ工房を作ろうということになりました。

 

木の特性生かした造形を

 

 どんな作品を作っているのですか

 最初の頃は画廊から椅子展をやりませんかと誘われて椅子を作ったりしたんです。木工とアルミなど異種素材を組み合わせたものを作ってみたいと思ってやっていました。

 作品展で木の皮で作った器を見ましたが。

 偶然欅の木の皮が剥がれたのを見たんです。製材屋さんにとっては産業廃棄物で燃されてしまうものです。ケヤキの樹皮は非常に丈夫で、いろいろ加工してみたら美しい木目が出て面白いものができる、捨てられてしまうものがお宝なるのではないかと思ったんです。3年前に※多摩クラフト協会会長の陶芸家三浦勇先生に協会に 誘われて、木の皮を使った作品を出したんです。

 刳り物一つ一つ手作りの作品が多いですね。

 一品一様しかできなくて時間がかかります。今やっていることは量産に乗らないという意味でクラフトでもない。かといって作家的なものを作りたいと思っているわけでもありません。クラフトは少量でも中量生産でもリピートオーダーができることが条件だと思っています。陶器や鋳物でもバックに地場産業の生産・流通ルートがなければ成り立ちません。あるいは自分で工房を持って生産するかです。

 僕はデザイナーとしてこの作品は面白いから商品にしてみようと思って下さるメーカー、流通の方に、プロトタイプとしてプレゼンテーションしているつもりです。それは僕が工業デザインをやっていたのでそういう発想になるのかも知れません。

 一品一様の作り方を変える手立てはありますか。

 コンピューターの利用である程度できると思っているんですよ。最初に木の見立てをデザイナーがして、それに合うデザインデータをコンピューターに与えて荒削りまでは機械で全部やる。そして最後の仕上げに人の手を加えて商品価値を高める。かなり投資が必要となりますが、きちんとコンピュータープログラムを組み、常に材料が供給できればクラフトとして成り立つと考えています。

 材料は廃材で、供給量には問題がありませんね。

 製材後の木の耳皮などはゴミになったり薪にされる廃材ですから、安く手に入れて細工をして付加価値の高いものを作れば、作る人は豊かになれる。資源の有効利用にもなります。夢のようで大変ですが、僕がやっていることの基本的な考え方はそこにあるんです。

 デザインもいろいろ考えられるそうですね。

 間伐材の木の枝を箸置きにしたものもあります。頭の中で考えられるデザインはどこかで見たか、何らかの組み合わせを頭の中で新しく作ったか、そうしたものしか出てこないんですが、今やっていることは目の前の素材がデザインを教えてくれる。きざな言葉でいえば素材との対話の中からデザインが自然に生まれてくるよと。個々の木が持つ特性を生かして器にすると絶対人の真似になりません。素材の中に秘められた造形を自分の満足がいくところまで引き出したいと思っています。

 

 

 

 

インタビュー・熊田一義  撮影・菅又俊世ほか

 

データ

※「馬場忠寛と仲間たち 素材とかたち展」 金工・馬場忠寛、鉄器・廣瀬慎、ガラス・柏原宏行、陶磁器・三浦勇、木工・永井武志の5氏が昨年(2012年12月)、伊勢丹浦和店プチギャラリーで開催したクラフト展。この他毎年、信州・飯綱高原で同じメンバー+αで作品展を開催している。

 

※多摩クラフト協会 陶磁器・三浦勇氏をはじめ多摩在住の工芸作家が参加。2008年から毎年秋に作品展を開催。

 

永井武志略歴

 昭和41年   武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン科卒
 昭和42年   株式会社佐々木達三デザイン事務所入社
 昭和48年   株式会社イデオ設立
 昭和55年   株式会社プラナ設立
 平成17年   同社代表取締役退任
 現在

  八王子市小津町の工房で木工中心に制作
  公益財団法人「共用品推進機構」理事

 著書   立体デザイン模型(美術出版刊)